父親一年生

 親ばか
といわれるのを承知で、子育て入門一年目の感想を
綴ってみます。何事も自分の判断によるより、すぐ権威ある
書物に頼りたがるこの親は、子育ても例外ではない。

 入門書を見て岩波の松田か、暮らしの手帖のスポック博士
か迷ったあげく、国産に落ち着く。ざっと目を通せばいろい
ろある。読んだだけでうんざり。そろえるものから、風呂の
入れ方まで、実演なしで頭に入るわけないのに、一応そのつ
もりにはなったがそれが悪かった。
 いざふたを、いやおひめさまが誕生するや、黄疸に泡を食
い母乳不足で哺乳瓶の消毒に大わらわ。ミルクがちっとも冷
めず、冷めた頃には泣きつかれて寝てしまうこともあった。
オムツのかえ方もいく通りもあるらしく、決まるまで3ヶ月
かかった。よく脱臼しなかったものとわが子と神様に感謝。
 神様といえば、育休が明けると待っていたように熱を出し
よくもこんなに上がるなというぐらい四十度すれすれ。息づ
かいも荒く、すぐ死んでしまうのではと思ってしまう。そん
なこんなで、一年ちょっと。
 はや、親を召使い扱いしてくれるわが子を見て、人間の成
長の早さに驚いたり、この先何が起きるかヒヤヒヤしたりの
毎日。ダッコをすれば、アッアッとさしず、メッとしかると、
そばの人形のところに行ってメッ。水割りを手でかき回して
くれるわ、おそうじと言えば、ガラガラと掃除機をひっぱっ
てくる

 絵本を買うのをあわてすぎた罰が今まいこんできて、やた
らと本を読ませられる。それもいいかげんに読むと最初から
やり直しさせられるからにくい。ここにもしテレビがあれば
ずいぶん親が助かるのにと、ふっと信念がゆらぐ。
 というのは、今わが家にはテレビを置いてない。はじめは
それこそテレビどころではなかったが、そのうちテレビの魅
力というか魔力を思い出し、あっさり捨ててしまった。なに
せテレビッ子のこの親は、テレビがどんなに家庭に、子ども
心に侵入してくるか身をもって知っているからだ。その記憶
の生々しさは、学校で習ったことなど、どこかへすっ飛んで
しまったのに、あの「月光仮面」から力道山のプロレス、ラ
ッシーから名馬ヒューリーなど、当時の番組を列挙せよと言
われたら十や二十軽い。アメリカにあこがれたのもあの頃だ。
鉄腕アトムなどのアニメもなつかしい。白黒が充分カラフル
に見えたものだ。そんなわが青春とともにあったテレビ様を
あっさり捨てたのは、一応子どものためと言っておこう。ピ
ンクレディーもジュリーも知らないけど、親がやきもち焼き
なので、テレビにわが子をとられたらくやしいからだ。むろ
んテレビのうまい利用を心がけているご家庭もあるだろうが、
あまりいい話は聞かない。なら最初からない方が簡単。
 しかしそのかわりおつきあいがつらい。ぐずって寝てくれ
るまでつきあわされる。おもちゃを買えばひとりで遊ぶかと
思うと、やれネジをまけ、ここに来いと要求する。結局逃げ
られない
。一方的ではこちらも面白くないので、BGMにジャ
ズをかけたり、ギターを持ち出す。どうせ聞いてやしまいと
思うと、体をゆらしたり、弦をはじきにやってくる。とにか
く予期せぬことを見たり、マネをしたりしてこの小さな体に
覚えこんでいくのかと思うと、あまりやたらなこともできな
いし、かといってサービスばかりでは疲れてしまう。保母さ
んなど根っから子どもづきあいが自然にできる人を見ると、
まさに羨望のまなざし。あんな人が親なら子どもも幸せだろ
うなと思いつつ、所詮は運命の出会い。あきらめてもらうし
かない。
 親って何だろうと、時々思う。考えてみれば、世の中すべ
て、親子から成り立っている。しかも偶然できた関係だ。そ
れがいつのまにか寝食を共にするうち、欠けてはならない存
になっている。そして知らぬうちによく似た顔のお方が一
人分を占めている。こうなれば欲求と欲求のぶつかりあいだ。
二十年も先に生きているからといってゆずってくれる相手で
はない。しぶしぶサービスに努めながら、かつてテレビの生
長とともに育った自分たちも、よく親とけんかしたなと思い
出す。受験戦争も真っ盛りで誘惑に負けつつ過ごした毎日は
親の価値観をもろに引き出し、それの反動ですぎてきたよう
なものだった。親はどうせ身勝手なもの。とにかく、ささや
かな体験からしかものを考えられないのだから、育つ子ども
と価値観がちがって当然。思い
出の中にしまっておけばいい
ものを「昔のおれたちは」とく
るから反撥をくらう。世代を
超えても押し付けていいような
価値観ってあるかな。
 などと一見物わかりよさそう
な親がいちばんくせものであ
りまして、手前のできなかった
道を何とか歩ませようという
魂胆が見え見えなのであります。
見破ってくれることを祈りつつ、
テニスボールで遊ばせている毎日です。

              1978年記  PTA文集より
                (当時 28歳)