わたしの創ったおもちゃ   

小学校の教師が本業でありながら、ほとんど同時進行で「おもちゃづくり」を続けてきました。
ひとつには娘が誕生し、父親としてできれば手づくりのおもちゃで育てたかったこと。正直に
言うといいおもちゃは高くて買えなかったからですが。もうひとつには最初の仕事が言語障害
のお子さんの相手で、教具にも使えるおもちゃがほしかったこと。そして、小黒三郎さんの組
み木に出会い、そのふたつの希望が一気にかなえられました。  その後いつのまにか、電動糸
のこと電動ドリルを駆使して、仕上げにサンダーをかけるという「組み木」のスタイルをその
まま生かしながら、私流のおもちゃづくりがスタートしていました。

 私のおもちゃづくりの発想は、まず目の前の子どもたちとの出会いから始まります。それは
わが子であり、クラスのいろいろなハンディを持った子どもたちです。この子に何が必要で、
何を欲しているか、言葉や仕草でやりとりをする中から作品が生まれてきます。

  娘が三歳になった頃、そろそろ人形遊びにハマりだしていたので、オリジナルのドールハ
ウスを作りました。組み木の発想で厚い一枚の板の中から家具を切り出し、並べて遊べるよう
にしました。さらにその枠を組み合わせると家になるようにしたので「ワクワクハウス」と名
づけました。  クラスのダウン症の女の子は料理好きでしたので、ままごとセットを考えまし
た。この頃からシナ合板を素材にしたおもちゃづくりがメインになっていました。片づけもし
やすいように、テーブルやレンジなどのセットがひとつにまとまる箱ものの組み合わせです。
両方とも最初は特定の子どもを対象に作りましたが、その後何年にも渡っていろいろな子ども
たちに遊ばれ、改良も加えられて今に至っています。

 といいますのは、学校の仕事の一方で自宅に「おもちゃのひろば」を作り、毎月一回地域の
子どもたちに開放するイベントをしています。そのひろばもすでに二十年近くになりましたの
で、同じおもちゃが世代を超えて遊ばれるシーンを何度も見てきました。単純によく遊ばれる
おもちゃがいいおもちゃという明快な解答が目の前で見られるわけです。おもちゃのつくり手
としてこれ以上恵まれた場所はありません。

 もうひとつとても鍛えられた場所があります。それは昨年まで勤めていた「くすのき学園」
という施設です。正式には情緒障害児短期治療施設という長い名称で呼ばれています。たまた
まそこの教員になりましたが、子どもたちの態度には驚かされることばかりでした。子どもと
のとっかかりがまるっきり見つからず、疲れるだけの毎日を何日も過ごしました。その中でよ
うやくこちらを向いてくれたのは、やはりおもちゃの世界。糸のこを持ち出し、私のデザイン
した恐竜や動物の部品を切り出して組み立てる授業に挑戦させてみました。始めて切った醍醐
味に時間も忘れて集中していました。ここの施設の子どもたちは親子関係がうまく行かず、つ
らい体験を持っています。そのため、すべてに自信がなく投げやりになりがちです。ですから、
少しでも自分の力で作り上げたという体験はかけがけのないものになります。そのためにこう
したおもちゃも含めた「ものづくり」を提供して行くことが私の大事な仕事になりました。

 おもちゃを作る対象が娘から孫に変わる年齢になってきましたが、おもちゃはあくまで、子
どもとのコミュケーションのための道具という考えは一貫しています。くすのき学園では子ど
ものリクエストに応えた誕生プレゼントを作ってきました。無理難題もありましたが、つくり
手としての力量を試される課題に感謝しています。手渡す時つくり手本人がいちばん幸福そう
な顔をしていると同僚に指摘されたことがあります。

 おもちゃを作りそのおもちゃをあそび手の子どもたちと共有できる幸福感、その感覚をいつ
までも味わいたいものです。

(子どもの文化 2008.7+8より 子どもの文化研究所発行)